被災地訪問の後で     8月2011年



6月の終わりに、東北大震災の被災地、 梅雨入りしたばかりの岩手県に行って来ました。 個人ボランティアとして、陸前高田ではガレキ処理、大船渡での避難所・仮設住宅訪問、そして遠野ボランティアセンターで、見つかった写真の洗浄処理のお手伝いをしました。内陸地域の被害は、3ヶ月が経過した当時、目に見えるほどではありませんでしたが、津波の被害のあった海岸沿いの地域は、本当にまだ大変な状態でした。被災者の方々の反応も様々で、一括りにはできない、支援の難しさを感じました。

 

避難所訪問で印象に残っていたのは、それぞれの人の受け取り方の違いでした。震災直後には未曾有の災害を一緒に経験した人達ならではの一体感、共同体意識がありましたが、衣食住の問題が解決し始めた辺りから、被災者同士での格差、境遇の差が色濃く浮き上がります。仮説住宅に入りたくても、何度も抽選から漏れてしまい、落ち込む人。家族や知り合いを亡くして、孤独になってしまった老人。仮設住宅に入って、見舞金を受け取っても、お酒とギャンブルでストレスを晴らそうとして、家族崩壊してしまう人。生き残ったのは幸いだが、これから家族を抱えて、仕事も、お金も、家もなく、どうして良いのか途方に暮れる人。被災前からの問題が反映・増幅され、皆さん苦しんでいました。 私がお世話になった民宿のおかみさんは、義理のお兄さんを津波でなくした後、恐ろしくて、海岸沿いには全く足を踏み入れられないらしく、私に現地の様子を毎晩聞いてきました。彼女の「亡くなった人には気の毒だけど、生き残った人の方がこれから大変だ」という言葉が、心に残りました。

 

被災者の中でも、新聞の被災地関係の記事を食い入るように見る人と、それを見せられて目を背ける人。3〜4ヶ月経って、やっと当日の記憶が戻って来て、その恐ろしさに震える人。人によって、反応は様々で、どうするのが一番良い、とも言えません。子どももその通りで、きちんと言葉に出して言える子。赤ちゃん帰りして、必要以上に甘える子。心を閉ざしてしまい、引きこもりになってしまう子。火のついたように泣き叫ぶ子。色々です。こういったストレス反応は、ショッキングなことが起こった直後〜数ヶ月後までは、誰にでも見られる自然な反応です。その事件のことを繰り返し絵に描く子もいます。人間の心にも、自然治癒作用の様なものがあり、何とかして、この辛い状況を乗り越えようと自分なりに工夫します。自傷行為や、他人を故意に傷つけることでなければ「そんなことはするな!」と怒ったり、止めたりしないようにして欲しいものです。また、本人が喋りたがらないのに、無理に話させ、心の傷を大きくしないことも大切です。

 

状態が落ち着き、周りの大人が落ち着いてくれば、自然に少なくなっていくはずですが、中には改善がみられないケースもあります。そういった時には、早めに専門家に相談して下さい。災害支援のように、気長に、忘れることなく、それぞれの必要に沿って対応して行きましょう。