生と死についての会話 2010年12月






アメリカ人の女性から自分の孫達がお葬式で亡くなった人の顔を見ないように、とても気を使ったという話を聞いた。「怖がったら可哀想だから」という彼女なりの配慮だったらしいが、そこまで死と対面する機会を避ける必要があるのかどうか、疑問に思った。最近のアメリカでは、歳をとることを伝染病のように嫌い、年寄りを避け、いつまでも若くいることを求める傾向があるような気がする。しかし、生きている限り死は必ず訪れるし、ベジタリアンでない限り、他の動物の命を犠牲にして人間は生きていく。それゆえに、本来なら他の命に感謝し、痛みを分かち合い、無駄にしないようにする。しかし、自分たちで殺さなくてもパックに詰まった肉や魚が手に入る現代では、その繋がりが希薄になる。ゲームや、映像の中ではいとも簡単に生き物を傷つける一方で、実際の死を切り離し、ないがしろにしてゆくことで、かえって生があやふやになっていっているのではないだろうか。

 

かといって、いくら機会が減ったとはいっても、飼っているペットが死んでしまう、親戚が亡くなる、近所で事故が起る等、子どもが身の回りの死を体験する可能性はいくらでもある。死を考えて不安になる、怖くなるのは当然のことである。大人でも怖い。でも、その時、大人が慌ててしまい、「そんなこと話しちゃ/考えては駄目」と言うのは、子どもに都合の悪いことは話すな、というメッセージを送ってしまうことになり、子どもはサポートが必要な時に、あなたに心を打ち明けることができなくなってしまうだろう。 だからといって、子どもが聞いてもいないのに、詳しく死のことを話すのも、余計な恐怖心を植え付けてしまう。では、どうしたら良いのか。

 

大人は、まず、自分なりの生死感は何なのか、考え、死に対する恐怖心を受け止めてみてはどうだろうか。そして、子どもが聞いてきたら、自分はこう思う。でも、他の考え方もある、と言えば良い。その答えで、物足りなかったら、子どもはもっと聞いて来る。そして、わからなければ、大人も素直にわからないと言えば良いし、一緒に考えてみても良い。子どもの意外なほどに本質を見抜く力に、驚くかもしれない。 子どもは実際に聞く言葉よりも、大人の態度を理解する。真剣に、正直に話し合えたら、内容よりも、その体験が心に響くことも多い。 大切なことはあやふやにせず、 正面から自分とも、子どもと向き合おう。

 

死は誰にでも訪れるが、子どもが自分も死ぬのではないかと怖がっている場合には、必ず、子どもが死ぬことは、ごく稀であり、あなたを含め、周りの大人が子どものことを守っているし、普通は歳をとって、ずっと後にしか死なない、ということを伝えて欲しい。そして、不安な時には、ちゃんと抱きしめて、今は自分を守ってくれる人、あなたと一緒に生きているのだ、と安心させてあげて欲しい。死を見つめることは、生をより良くいきることにも通じる。愛する人との、限りある時間を大切にしてほしい。