良い人だって人を傷つけることもあるのです(4/2009発行)



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日に日に暖かくなってきましたね。いかがお過ごしでしょうか?日本では、桜前線やお花見のニュースが流れる頃ですね。暗いニュースが多い中で、桜の話題は、春を告げ、入学式、入社式など、新しいことへの希望を呼び覚ますものです。この桜への思い入れの強さは、他の国の人には、新鮮に感じられることでしょう。文化や価値観の違いは、教育にも見られますね。大人の方は 、アメリカ教育で育つわが子とのギャップに驚く事もあるでしょう。私が日本で受けた教育は、協調性や他人を思いやることの大切さや、和を大切にすることを高く評価する教育だったと思います。
 
一方アメリカの学校関係者と話して感じるのは、彼らが子ども達に求めているのは"Healthy Self-esteem、""Independent" 等、「どのような行動をするか」よりも、「どのような意思をもって行動している」かを、評価、注目しているようです。頭が良いのに、一生懸命やろうとしない生徒よりも、成績はトップでなくても一生懸命がんばっている生徒の意思を評価します。

私たちは人の行動と、その人自身の意思を混同することが多いような気がします。良い人でも間違った事をする事はあるのです。アメリカでは、その差別化を推進しているようです。 大切なのは、それをしようとした目的は何なのか、という意思に注目しようとしています。例えば、何か他の人が傷つく事を、悪気はないのに言ってしまったとします。そんなことを言ってしまった自分は、なんて悪い人なのだろう、と、その人の行動をその人の本質から出たものだと位置付け、間違った行動を置かす人=悪い人、のような単純な図式ができあがっていないでしょうか? 

アメリカでも昔の映画などには、勧善懲悪的なストーリーが多かったようですが、最近は悪役の悲しい過去や、ヒーローの失敗等をバランスよく取り込む映画が多くなってきました。これは、子ども達にとっても良い事だと思います。現実の世界では完全無欠の善人も、情け容赦ない悪人も存在しないのですから。子どもは、大人が怒っていると、自分のせいで怒っているのか、それとも他の事が原因で怒っているのか区別、判断するのが難しく、「怒られる=嫌われている」という間違った図式で判断し、どうして怒られているのか、という原因(行動)ではなく、自分は嫌われるような悪い子なのだ、と思って、傷つくものの、その怒られることになった行動をただす事はできずに、また繰り返し、更に大人を怒らせることもあります。

この悪循環を断ち切る為にも、子どもを叱る時には、なるべく冷静に、子どもが嫌いで腹をたてているのではなく、その子どもがしてしまった行動に対して感情的になっている事を強調してあげて下さい。冷静になれないようでしたら、タイムアウト(大人も子どもも)するのをお勧めします。行動は、あくまでもその人に付随するものですが、その人の価値ではないはずです。この行動≠性格ではないということを意識する事で、大人にとっても子どもにとっても楽になり、間違いを起こす事を恐れなくなり、色んなことにチャレンジしやすくなるはずです。